『フィツカラルド』 映画にはさまざまな顔がある。 伏線で張り巡らされた、巧妙なストーリーで観客を欺き、 圧倒的な最新映像技術を駆使し、観る者を驚かす。 ときには、答えの出ない問題を我々に問いかけ、 論争を巻き起こす火種になることもある。 そのとき観客は、そんな優れた映画に隠された、 もうひとつの顔を暴こうと、躍起になるものだ。 この映画の面白さの正体は何か。 どこが優れているのだろうか。 それ以前に、なぜ何のために、 こんな作品を作ろうとしたのだろうか。 今回、紹介する映画は、そんな疑問を抱くような映画かもしれない。 『フィツカラルド』 FITZCARRALDO 西ドイツ 1982年制作 監督 ヴェルナー・ヘルツォーク 主演 クラウス・キンスキー 評価 ★★★★★ この映画は、一言で言えば、 100トンを軽く超えるであろう船が、山を登る映画である。 船が山を登るのだ。 一体何のために? その理由は、映画を観れば伝わってくるはずだ。 フィツカラルドとは人の名前で、 “フィッツジェラルド”と正しい発音ができなかった現地人が、 こう呼んでいたという。 彼のモデルとなった人物は、 南米で成功を収めた実在した実業家だ。 この少しイカれた男は、 南米アマゾンの奥地にあるゴム林、いわば巨万の富を目指して、 アマゾンの激流に自ら飛び込んでいく。 いくら、大金が転がっていようが、 ハイリスクで、あまりに危険なために誰も手をつけようとしない。 しかし、本当の目的は別にあった。 自分で得た未開の地で、 愛してやまないオペラを上演することが、 本当の目的だったのだ。 彼は、自分の夢の実現のためなら、どんな犠牲も払う。 狂人的だが、情熱にあふれ、独特なカリスマ性を持った人物として描かれている。 さて、この映画は莫大な予算をかけて制作された。 撮影中、アマゾンの天候不良や、役者の体調悪化などで、 何度も撮影がとん挫したという。 だが、映画は完成し、主演のクラウス・キンスキーも、 アマゾンを舞台に、狂人的な役を最後まで演じきった。 また、彼を支える妻を演じた、クラウディア・カルディナーレ。 ふところ深く、慈愛がこもった笑顔を忘れることができない。 ついにフィツカラルドは船で山を越え、命からがらアマゾンから帰還した。 絶対不可能を覆し、自分の夢を、みずからの力で手にしたのだ。 これを、ロマンと言わずして何と言おうか。 監督と観客との間で、唯一共有できるものは、 ロマン、そして情熱でないだろうか。 映画が、芸術作品と言われるのは、 そこに人間の血が通っているからである。 作り手と、それを観る側の間に、情熱のない映画は、 人の心を動かすことはないだろう。 『フィツカラルド』はロマンを追いかけた男たちの映画なのだ。 by spacecowboy PR